2009年2月2日月曜日

格差社会

日本では半年ほど前、若い世代で格差拡大が広まっているとか、ワーキング・プアなどの言葉が雑誌を飾っていたけれど、ここアメリカでも同じような話があがっている。もちろんアメリカと日本では背景がまったく異なるので、一概には比較できない。アメリカ社会は歴史的に格差の存在が前提にあり、それを昇り詰めていくことがアメリカンドリームとされていた。つまり、そもそもの出発点やスタンダードは日本とまったく異なる。ただ、格差が広がっているという相対的な傾向は共通しているようだ。

日本の場合は、今まで存在しなかった(もしくは、存在していても顕著ではなかった)階層とその格差が認識できるほど顕著になってきたわけだが、アメリカでは存在していた格差、特に超富裕層とミドルクラス間の格差はどんどん広がっている傾向にある。1940年代から1970年代までの間は、アメリカのミドルクラスの給与は富裕層と同じくらいのペースで上昇していたものの、最近では富裕層の超富裕化が加速している。その結果、一段一段がどんどん高くなり、所得階層の階段を駆け上っていくことが難しくなっている。

つまりアメリカでは良い大学を出たところで、また大学院まで進んでも、今となっては上位クラスに駆け上がれる切符が約束されるわけではない。起業をするにしても特にこの不景気でVCなどの投資家からのファンドも極端に減っている。投資判断もかなり厳しくなっていて、他との差別化、そしていかに早く確実にマネタイズできるかがシビアに問われる。どこかに就職するとしても、確かに自分の周りを見渡しても、同じようなレジメを持った学生が労働市場にありふれていて、労働市場が飽和状態な印象を受ける。(もちろん歴史的な不景気とここの土値柄上、似たようなスキルセットを持った人材が集まっているという背景を踏まえた上でも)

ただ一つ、格差拡大に反して縮まっているもの、それはミドルクラスと富裕層の服装だと言ってみんな笑っている。シリコンバレーでは特に顕著だが、CEOや上層部と、普通の 平社員が見た目では区別できない。ここではジーパンにボタンダウン姿が標準の服装だし、年齢的にも20歳代のCEOがうろうろしているので、その点では広がる格差に反して、見た目上はその傾向が見えにくくなっているかもしれない。わたしも先日Google CEO Eric Schmidtを近くのモールで見かけた。ジーパンにTシャツで、子供とアイスクリーム食べていた。本当に普通の近所のおじさん。

とにかく最近はシリコンバレー全体に静けさが漂っている。終わらないレイオフに息を潜めて生き残りを願っているような緊張感もありつつ、一方で、ここまでの不景気ならあがいてもどうしようもないというあきらめ感や変なリラックス感が漂っているようにも感じられる。ただ必ずしも沈んだ雰囲気一色というわけでもなく、こんな状況でも個人個人は前向きで、この社会の根底にある楽観性を改めて認識させられる。

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